26-10-20

『男性(特に童貞)にとって性行為は「異性に認められた」という証であり、行為そのものよりも認められたという事実が大事』

みたいな話が、微塵もわからない。

一人の女に認められたかどうかで何かが変わるとは到底思えない。これは俺が全ての親族に愛されて育った愛着障害の対極にいる運ガキだからなのか? 一方、自分と同じくらい恵まれて育ったであろう友人知人にも、女に受け入れられることに躍起になっている人はいる。本人達に話を聞いてみたいところである。

というか、一人の、ポッと出の女に認められただけで何かが満たされてしまったら、自分で自分を許せなくなる気がする。俺はそんなちっぽけな人間か? 他人如きがあまり俺のことをわかった気にならないでほしい。せめて、こういう自己開示ブログをたくさん読むか、過去を改変して中学から親しかったことにしてくれないと納得がいかない。

かといって、仮に彼女ができたとして自己開示ブログは絶対に読ませたくない。これは俺の弱味であり、俺のことをわかってないやつに知ってほしくない。つまりは一見さんお断りということである。

だからこそなのかもしれないが、誰にも愛されたことが無いのを、不幸せだと思わない。

結局は自分で自分を愛せるかのみであり、他人に愛されるかどうかはその手段になり得るだけだ。俺は幸運なことにそれ以外の手段をもう知っているし、今はそのために努力しているつもりである。

 

26-10-06

学歴厨・ツイートなのでこっち行き

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こういうツイートのポイントは「言われていた」というところで、つまりは高校生がクラスでそう話してただけなんだよな

どうせ受けない私立のレベル感なんて知ったことではないし、自分らは私立の方が国公立より下という価値観で生きているのだから、そう思うのは自然

その記憶が時間を経て「早慶は名工大より下」に変化し、「南山と迷う人もいた」という記憶の捏造に繋がる

26-09-25

足の骨の位置に納得がいかない!

具体的には、脛の骨(脛骨(名前そのまますぎ))に納得がいってない

 

足の一番出っ張ってる部分、弁慶の泣きどころと言えばここ みたいな、綺麗な脚だったら明暗の境界になるラインがあると思う 伝わってる?これ

そこを“脚の中心”だと思っているんだけど、脛骨で言うとそこは端っこにあたるっぽい そのラインより内側は骨、外側が筋肉になってる

脚の中心なのに、骨の端っこなんかい!と、急に思うようになってしまった

逆に、脚の内側はそこまで骨あるんかいとなっている 具体的には、くるぶしから膝まで真上に引いたラインがおよそ脛骨のもう一つの端っこになってると思うんだけど そこらへんって、ふくらはぎではないのですか!? と思っている

 

わかりてを募集します

 

26-09-16

「論理的な思考ができる」の意味するところが最近わからなくなってきた。

今から話すことは揚げ足取りみたいなもので、全くもって読む価値は無いと思うことを最初に断っておく。

 

まず、世の中には論理的に解が導けるものとそうでないものがあるわけだが、後者に比べたら前者なんて無いも同然なほど少ないと思う。

たとえば数独とか、ピクロスとか、そういうパズルゲームは前者に該当する。いくら複雑に見えても、決まったルールに従えば誰でも解を導くことができる。逆に、こういったパズル以外で自分が「論理的に解くことができる」と考えているものは皆無に近い。

たとえば、(とくに難しい入試問題などの)数学の問題を解くことは、論理的ではないと考えている。まず解法を思いつくところから、その取捨選択まで、経験や勘に依りすぎている。解き進めてみないとその解法が正しいのか、一番楽なのか判別する術がない。誰しもが模範回答に(なんでそう思ったのか説明してくれよ)と感じたことがあるだろう。それこそが、数学の答案作成が論理的でないと考える一番の要素である。
つまるところ、私の中で「論理的思考」というのは「(歩くのには苦労するほど険しいかもしれないが)迷う余地のない一本道を進むように結論を導くこと」と言った意味合いに近い。

すると、論理的思考で解を導ける物事など皆無に近いという私の主張を理解いただけるだろう。

 

さて、話を戻す。

私が思うに、論理的な思考が必要になるのはごくごく限られた状況しかないのにも関わらず、様々な場面で「論理的な思考力」が求められているように感じている。

たとえば、ある会社で新製品の広告戦略を決める会議をしているとする。ある程度決まった予算のうち、ネット広告、テレビCM、街頭広告にどれだけ割り振るかを考えたい。プレゼンターは、過去の類似商品のデータ、たとえば商品アンケート等から、ネット広告が一番効果が高いと判断し、ネット広告に多くの予算を割きたいと言った。

果たしてこれは論理的な思考で導き出された結論だろうか?

俺は「祈り」だと思う。

まず、商品アンケートがフラットな結果をもたらしているのかが懐疑的だ。たとえばネット広告のリンク先のホームページから通販で買うと、そのままアンケートに誘導できる一方で、小売店で買った客はわざわざどこかにあるQRコードを読み込まないとアンケートに答えることができなかったのかもしれない。そうすればネット広告に有利になるのは自明だ。

また、もしかしたら過去の商品の発売時期が2020年初頭、つまりコロナ禍で、人がネットを利用していた時間が長かったかもしれないし、通販も増えたかもしれない。

他にも、考慮できていない変数が無数に存在することは確定的だ。

そのような条件下で、どうにか決断を下すために様々な根拠を持ってくるのは、悪く言えばこじつけに過ぎない。でも、我々はリスクを支払う時に、それを最小限に抑えるために理由を欲しがる生き物だ。だから「論理的な思考力」が求められているのだろうが、こうやって理由と結論を結びつける行為は「論理的」とは言えない。小さな分岐、つまり考慮していない(できない)変数に目を瞑って、一本道だと思い込んで進んだ先の結論だからだ。

このような行為は「祈り」と呼ぶべきだと思う。

 

怪しいコンサルタント会社に社運を委ねるくらいなら、占い師に経営方針を決めてもらっても大差はない。それは、理由になるから。

26-09-07

小学校の特別支援学級の同級生と関わる機会に、主に4月産まれの面倒見が良い女子が、弟や妹を扱うみたいに接しているのを見て、子供ながらに「それは違うんじゃないのか」と思っていた記憶がある。

俺はあまりそういうやつに積極的にコンタクトを取るタイプでは当然無いし、ずっと異様にオドオドしている半澤くんには苦手意識があったが、どうしても話さないといけないタイミングでは、なるべく他のクラスメイトと話す時と同じようにするよう努めていた。

別にその時の俺が正しいだとか、面倒見のいい女子共の対応が間違っているだとか言いたいわけでは当然なくて、まだ当時10歳にもなっていない俺の中に、なるべくフラットに接するべきという価値観が根付いていたのが不思議だった。

なんとなくこのことを思い出し、親に「そういう教育をしたか?」と確認したが、どうやら全然そんなことはないらしく「小三小四の時の担任の先生じゃないかな〜」と言っていた。その先生なら確かに納得かも。

当時の俺の考え方が先生の真意であるかは不明だが、自分が先生のそういう話を真面目に聞いていたのは意外だなあ、と思った。

オチなし

26-09-02

セックスでお互いが熱いと感じるのはおかしいという話(童貞だから真偽は知らない)は結構簡単に説明できると思っていて

まず、普段人間は皮膚表面から排熱しているので、皮下組織→皮膚表面の熱の流れがあるはず

皮膚同士を密着させると、相手の皮下組織が高音なため、空気に触れるより排熱効率が落ちる

結果として、お互いの皮膚表面がお互いの皮下組織によって温められ、熱いと感じる(熱を感じる神経は皮膚表面寄りにあるはず)

 

というか、行為中どうこう以前に、実際自分で腕を組んだりしても温かいと感じるよな

26-08-29

アルティメットまどかを否定して欲しかった。

単に好みの話なんだけどさ、セカイ系はセカイよりキミの方を取る方が好きだよ。だってそっちの方が非合理的だから。

でも、アルまどはそもそもあんまり合理的な選択でも無いと思うのが、アルまどへの否定的な気持ちを増幅させている。

たとえば、まどかがキュウべえに「魔法少女のいない世界」を望む(「さようなら、全てのエヴァンゲリオン」すぎるだろ)のは合理的な選択肢だと思うし、アルまどの力ならできそう。

でもそれをしないのは、「少女が希望を抱くことを否定したくない」というまどかのワガママ(ほむらは優しさと勇気と表現しているけど)でしか無いと思っている。セカイ系でキミ側がわがままを通しているという変な構図。自分のワガママ通すんだったらさ、ちょっとはほむらのワガママも聞いてあげてよ

まどかに幸せでいてほしいというほむらのワガママと、全ての魔法少女を救いたいというまどかのワガママバトルという構図があり、アニメではまどかの勝ち、叛逆ではほむらの逆転勝ち、という流れがあって、続編が出るとなったら第三の選択肢が提示されるものだと思っていたのだが、もう一回普通にまどかが勝って終わったというのが、変。じゃあもう叛逆廻天どっちもいらないしアニメだけで完結で良かったんじゃないのかよ、と思ってしまう。

 

ワスの話は普通に面白かったけどね………………