「論理的な思考ができる」の意味するところが最近わからなくなってきた。
今から話すことは揚げ足取りみたいなもので、全くもって読む価値は無いと思うことを最初に断っておく。
まず、世の中には論理的に解が導けるものとそうでないものがあるわけだが、後者に比べたら前者なんて無いも同然なほど少ないと思う。
たとえば数独とか、ピクロスとか、そういうパズルゲームは前者に該当する。いくら複雑に見えても、決まったルールに従えば誰でも解を導くことができる。逆に、こういったパズル以外で自分が「論理的に解くことができる」と考えているものは皆無に近い。
たとえば、(とくに難しい入試問題などの)数学の問題を解くことは、論理的ではないと考えている。まず解法を思いつくところから、その取捨選択まで、経験や勘に依りすぎている。解き進めてみないとその解法が正しいのか、一番楽なのか判別する術がない。誰しもが模範回答に(なんでそう思ったのか説明してくれよ)と感じたことがあるだろう。それこそが、数学の答案作成が論理的でないと考える一番の要素である。
つまるところ、私の中で「論理的思考」というのは「(歩くのには苦労するほど険しいかもしれないが)迷う余地のない一本道を進むように結論を導くこと」と言った意味合いに近い。
すると、論理的思考で解を導ける物事など皆無に近いという私の主張を理解いただけるだろう。
さて、話を戻す。
私が思うに、論理的な思考が必要になるのはごくごく限られた状況しかないのにも関わらず、様々な場面で「論理的な思考力」が求められているように感じている。
たとえば、ある会社で新製品の広告戦略を決める会議をしているとする。ある程度決まった予算のうち、ネット広告、テレビCM、街頭広告にどれだけ割り振るかを考えたい。プレゼンターは、過去の類似商品のデータ、たとえば商品アンケート等から、ネット広告が一番効果が高いと判断し、ネット広告に多くの予算を割きたいと言った。
果たしてこれは論理的な思考で導き出された結論だろうか?
俺は「祈り」だと思う。
まず、商品アンケートがフラットな結果をもたらしているのかが懐疑的だ。たとえばネット広告のリンク先のホームページから通販で買うと、そのままアンケートに誘導できる一方で、小売店で買った客はわざわざどこかにあるQRコードを読み込まないとアンケートに答えることができなかったのかもしれない。そうすればネット広告に有利になるのは自明だ。
また、もしかしたら過去の商品の発売時期が2020年初頭、つまりコロナ禍で、人がネットを利用していた時間が長かったかもしれないし、通販も増えたかもしれない。
他にも、考慮できていない変数が無数に存在することは確定的だ。
そのような条件下で、どうにか決断を下すために様々な根拠を持ってくるのは、悪く言えばこじつけに過ぎない。でも、我々はリスクを支払う時に、それを最小限に抑えるために理由を欲しがる生き物だ。だから「論理的な思考力」が求められているのだろうが、こうやって理由と結論を結びつける行為は「論理的」とは言えない。小さな分岐、つまり考慮していない(できない)変数に目を瞑って、一本道だと思い込んで進んだ先の結論だからだ。
このような行為は「祈り」と呼ぶべきだと思う。
怪しいコンサルタント会社に社運を委ねるくらいなら、占い師に経営方針を決めてもらっても大差はない。それは、理由になるから。