23-01-25

 昨日フォロワーのいざよいくんから早稲田大学は一般入試で極端に一科目の成績が良かった生徒の特典を調整して下げる、ということを聞いた。指定校推薦の枠が異常に多かったりすることから、満遍なくどの科目もできる生徒を欲しがっているのだろう。共通テストも然り、日本の教育機関は器用貧乏ばかり育てようとしているのか?

 文系全弱の僕がこれから言う話をすると、負け惜しみみたいでとてもダサいと思うが一旦そこは気にしない方向で読んで欲しい。

 何事にも言えるが、無駄が無い方もののが当然優れたものであるはずだ。ガブリアスはC種族値が低いから実質種族値が高くて強い。東大に入るためにする社会の勉強時間は、東大に入るためにしか活かされない無駄な時間だ。ここで言う無駄とは、東大生が東大生として学ぶために必要なことではない、という意味であり、人として教養を身に付けることはいい事だと思う。そこはちゃんとわきまえてる。だが、教養が問われるのは人間関係や社会の場であり、大学が問うべきものではないはずだ。東大に入るような人間は、社会から隔絶されようと、特定分野の研究に没頭すべきだ。そのために、社会の勉強時間という無駄は削ぎ落とさないといけない。

 大学は、学術の中心として深く真理を探求し専門の学芸を教授研究することを本質とするものであり、

 これは文部科学省のホームページにある大学に関する記述だ。つまり大学生には、専門の学芸を教授研究するのに適した人材が求められるはずであるが、現在の入試制度は専門性からかけ離れている。

 

 ここまで言っておいてなんだが、僕もそこまで愚かでは無いので、この入試制度になる理由は考えがつく。高校で幅広い学問を学させるのは、機会を与えるという意味で重要だと思う。そうなると、これ以上各科目ごとの学習範囲を広げることは難しい。科目ごとで問う範囲が狭いとなると、限られた科目での入試は、学力を判定するのに不適切となる。数学力だけなら東大以上である人の数は、東大の定員を遥かに上回ってしまうのだ。となると、他科目で人数を絞らないといけないというのは当然の道理だとは思う。もちろんこれだけが理由ではない可能性が高いが。

 

 これまでの文章を要約すると「俺は理系科目だけなら東大以上だから東大に入れてくれ」です。ありがとうございました。