23-04-09

 高三の一学期だけ教わってその後退職した物理教師(無責任すぎ!)が言ってたことで一番印象に残ってるのが「相対的にしか物事は語れない」って言葉。たとえば僕らが静止していると思ってる目の前の机は、宇宙から見たら動いてる。”静止している”という状況は観測者と物体の間の相対速度が0である、ということであり、観測者によって静止しているか否かという問いの結果は変わるため、”絶対的な静止”は存在しない。という話。

 ところで、天動説と地動説ってあるじゃないですか。太陽が地球の周りを回っているのか、地球が太陽の周りを回っているのか。今では地球が太陽の周りを回っているっていう認識が浸透していると思いますが、同時に太陽も動いている、ということもわかってるじゃないですか。太陽が”絶対的な静止”の状況にあるなら地動説の話ってすごくスッキリしてるんですけど、そうじゃないじゃないですか。なんでかっていうと、地動説って観測者が太陽にいるんですよ、で、その太陽も動いちゃってますと。いや、どうせ動いてる場所に観測者を置くなら地球でもよくない?? ってなりませんか。イヤ、当然太陽に観測者を置いたら太陽系惑星が全て太陽を昇天とする楕円軌道を描いている、という数学的に綺麗な話になることは理解してますよ。僕がしたいのはそういうミクロな話じゃなくて、銀河とか宇宙全体みたいなマクロの話になったときに、地動説なんて言ってらんないよねみたいな。いや、そりゃ話の規模が違うから地動説とかもうどうでもいい話なんですけど。

 なんていうか、僕が言いたいのは、太陽を主人公にすな!っていうことで。太陽だって無数にある恒星の一つにすぎないのに、ちょっと近くてエネルギーたくさん貰ってるからって神聖視しすぎじゃないですか?今自分が立ってるこの地面の方が尊いんじゃない?とおもうのだ。