24-04-26

この日記は25日中に書きはじめている。前代未聞。

 

日記の文量が多くなる、つまり考えていることが多いときはたいてい気分が落ち込んでいるとき。病気として躁鬱というものがあるが、診断されなくてもみんな月単位での気分の浮き沈みくらいあるだろう。なんとなく病気のことをゼロかイチかで考えてしまうが、ほとんどのは連続的に存在しているものであろう。躁鬱でなくともこれくらいみんなある。

 

一人が好きだけど一人は寂しいという矛盾を抱えている人は多いだろうが、僕はそれを集団の中で一人になることで解決している。友達で集まって談笑している輪の中で一人、スマホを見たり課題をしたり本を読んだりしている。空気が読めないやつみたいに思われるかもしれないが、僕が話に参加しないことで誰も損をしていないし、当然のように許容されている。文化祭だとか体育祭だとか合唱祭だとか、そういう集団行動には積極的に参加するタイプであったし、そういう意味ではむしろ空気は読めている側だと思う。

 

数日前、なぜ人に好かれているかがわからないというようなことをここに書いた。好かれていると言うと傲慢なのだが、そうとまで言えなくとも、自分としては友人関係を続けてくれていることすら不思議に感じている相手が多い。というのも、自分は他人に好かれる気が殆ど無いように思うのがその原因だ。愛想も悪ければ、遠慮もない。コミュニケーションは譲歩のし合いで成立するものだと思うが、基本的に僕は相手に譲歩をさせている割合が大きいと思う。これが素だから気に入らないなら去れ、みたいな態度で人と接している気がする。先ほどの集団の中で一人になりにいっている話はここに繋がる。なぜ友達がいるのか謎である。人たらしと言える友人が数名いるが、僕は彼らと真逆だと思う。自分からあまり距離を詰めようとしないし、詰めようとするときでもアピールはいつでも遠回りだ。

 

長ったらしく書いたが、このことについて思い悩んでいたりは一切していない。いつからか自分の欠点を自分で受け入れることで自己解決するようにしている。その方が大人っぽいという極めて子供っぽい理由で。

じゃあなんで公開するのかと言われたら、謝りたいのかもしれない。直す気はさらさらないが、気を使わせて申し訳ない気持ちは存在している。

 

友達のみんな、ありがとう。