24-01-16

小学生の時に将来の夢とか聞かれたら、とりあえずその時の習い事でプロになるとか書きますよね。サッカーやってるやつならJリーガーとか。あれってどれくらい本気で書いてたんでしょう。多分、できるできないなんか気にして無いんですよね。でも成長するにつれて、うっすら無理かな〜なんて気持ちが芽生えてきて、中学生くらいになったら、諦めるでもなく、気づいたら消えているもんです。だから夢って言うんですかね。

少し話は変わるんですが、よく日本の教育は個性を潰すとか言われますよね。でも、将来の夢を描かせるのって、すごく他人と違うことを強制されているようで、その話とは真逆だと思うんです。ちなみに僕は小六だかの時に将来の夢はサラリーマンと書いた記憶があります。生意気ですね。それでですね、将来の夢文化が発端かはわかりませんが、何者かになりたい欲が若者に蔓延っていますよね。多くの人は自分が平凡であることに気づいてしまった上で、そのことを受け入れられないんだと思います。

クズな俺、社会不適合者アピールなんかは、ここから産まれてるのかななんて思うんです。やっぱり自分はズレてる、社会から爪弾きされる人間なんだ、普通に幸せにはなれない。負の方向に自分を肯定して、何者かになろうとしてる。それは別にJリーガーじゃなくたって、インターネットの人気者だって何だって良いんだろう。

でもね、何者でもない自分を受け入れることが大人になるってことだと思うんだ。大人しく社会の歯車になろう。

俺はまだ夢から醒めてないけどね。なんでもできるって信じてる。