24-04-15

昨日、俺の真似して日記書いてるってめろさんに言われて結構嬉しかった。他にも日記書いてるフォロワーが2人いるけど、俺の真似してるんだったら嬉しいね。自分が言い始めたあだ名が定着すると嬉しいのと同じ感覚。

 

3人は絶対に俺より日本語が上手いので、ちょっと悔しかったりもする。読書量との相関が思ってたよりずっと強いな。自分はド理系で中高の国語の授業はほぼ全切りしていた人間だけども、日本語を上手に使いたいという意識はある。だから、ちょっと背伸びして難しいような文体で日記を書いてることがあったりする。その翌朝ちょっと恥ずかしくなるけど、そういう恥ずかしさを遠い未来の自分に残すために日記を書いている。他にもいろいろ意識して文体を使い分けているのだけど、みんなは気づいているのでしょうか。

日本語は他の言語より上手い下手が激しい気がする。というより、上手さに限界がないから上手い奴が上手すぎて感覚が狂ってるのかも。日本語がそうなだけなのか、母国語だったらみんな思ってるのか、気になるところではある。

 

日本語以外でも、日本史とか地理とかぜんぜん知らないことはめちゃめちゃ恥ずかしいことだと思っている。でもそれだけじゃ勉強する気にならないし、まあしかたない。

自分と地続きじゃない、完全に切り離されたものだとして捉えている。羨ましいではなく、憧れ。理解から最も遠い感情。